話をしよう

「壊れゆくひと」著:島村洋子


とても不思議な話だ。
不思議というか、サイコホラーっていう分類みたい。



おかしな人に出会う度
そしてその人は自分が正常だと認識してる場合
そんなことは無いと思いつつ
ほんとうには自分がおかしいのではないか
と思ってしまう。



そういうサイコ・ホラー
とてもリアルでこわいけれど
どこか自分とは一線をおいて見られる。




読んで、どちら側になるのが 正常なんだろう

・だいじょうぶ、わたしは正常だ
・もしかしたら わたしがおかしいこともあるのか




思いこみが強い方があやういというなら
危険なのは前者だろうか。
(わたしは、もしかしたらわたしがおかしいこともあるのかな、
でも大丈夫、わたしは正常だ。って思う)






悩ましげな本を読むと、他人の感想が気になる。
このラストどう思った、とか
きっとこの後はこうなる、とか
この言い回しはきっとこういうことだ、とか



著者は明かさないから 読者に頼る。





その感想の中にこんなのがあった。


私とあなたは、同じものを見ていると思っているけれど、
実は全然違うものを見ているのかもしれない。
それでも、大きな誤差が生じない限りは、
私たちは互いに同じものを見ていると錯覚したまま、
並んで歩いているのかもしれない。




直接物語をかたってるものじゃないけれど、
例えば著者が言いたい事のなかにこれが有るのならば





これはもっともで そしてそう考えると
どんなに長く長く一緒に居てもきっと
まだまだ まだまだ話足りないと思えるようになる。





ただでさえ足りないと思っているのに 
まだ足りないと思えるようになってしまう。




けれど
それがうれしく思えたんだ。





もっと話そう。
たくさん話そう。