おくりもの


プレゼント や 贈り物 は
自分のエゴだって思っている


誰だってプレゼントされて
とびっきり嫌な顔する人は居ないけど



「好みじゃない」とか
「同じの持ってる」とか
「もらっても困る」とか


そういう些細な感情は
ある。にはある。きっと。


ほんとうは中身じゃなくて
その気持ちで、
例えばプレゼントを選んでくれたその行為。


その費やした時間。


プレゼントしようって思い立った時から
実際に手元に行くまで、
自分のことをあたまに思い描いてくれてた。

そう思えるきもち。



それがうれしい。
それはうれしい。
きっとそれは間違いなくうれしい。



でも品物は別次元で。




だからエゴだとおもってる。


きっとあの人に似合う。
きっと使ってもらえる。

そう思ってこころをこめて買うけれど



「喜んでもらえる」


そう思うのは、こちらがわのはなしで。



だから
なにも要らない
なにも期待しない
ただ、わたしが贈り物をあなたにしたかっただけ
喜んで気にいってくれたらもちろん嬉しいけど
届いたらそれで、良い。まんぞく。



そういうきもちで
贈り物をしてる。


さいきんはね。






でも、もし。


そのエゴすら、迷惑だったら。




そんなことまで考えたこと無かった。


おくりものが めいわくだったら。




一体愛しい人に
これからどうやってその思いを伝えたらいいんだろう。



もちろん
物だけじゃない。

想いを伝える手段はもっともっと
たくさんあるけれど、


そうじゃなくて、
輝きもするけれど透明にもなってしまえる言葉じゃなくて
「物」でしか伝えられない事もあって。



そんなことを考えていた連日




おくりものをした相手から
おくりものが 届いた。



青い鳥がくるくるの瞳で
あらゆる色を翼に込めて
わたしの家に来た。


良かった。
想いが届いて良かった。





「あなたの為」と思う事は
なんて傲慢なことだろう。


誰ひとり
ほんとうには分かってやれない


それでも
伝えたい。


だから伝えるんだ。




受け取ってくれて ありがとう。