カメ子。

去年の7月に、10年付き合ってきたカメラが壊れてしまった。
考えてみればろくに手入れもしないで、よくぞ私に付き合ってくれていたもんだ。
ここ最近ではAFがうまく作動しなくて、視力の落ちたわたしを困らせた。

ただ、蓋が閉まらなくなっただけだけれども、
ちょっと、かまって なのか、
ちょっと、休ませて なのか、


とんと写真を撮らなくなってはいたものの、
撮れないとなると、なんだかむずがゆい。


「しない」とか「会わない」とか「言わない」とかはいつも
選び取れる中で、魅力を発揮する。
撮れないから、撮らない のと
撮れるけど、撮らない のでは
こころもちが全然ちがうのよね。


初めてとった写真を思い出してみた。
多分、室内で、パソコンのキーボードを撮ったのだ。
まだなんの知識も持たずして、ボケ感を試してみたかったのだ。

そして、壊れる前の最後の写真を現像してみた。
息子の写真だった。
住んでいる場所も、置かれている状況も、名前だって。違うね。


散々まよったあげく、結局修理に出した。
1社目は「部品欠品につき、修理不可能」と、返信がきた。
そりゃそうよね。10年以上前のものだもんね。

2社目は「多分大丈夫だからとりあえず送って」のスタンス。
そして、無事、50ミリレンズの修理も(AFじゃなくて、レンズの不具合だったみたい)済んだ状態で帰ってきた。
おかえり。

散々まよったのは、今更10年以上も前の中途半端なフィルムカメラ使ってるんなら、いっそのこともっとマニュアルな手巻きのフィルムカメラに買い換えちゃえば良いんじゃないか。どうせあまり撮れてないし。と思ったから。
そして迷った結果修理したのは、10年以上も使って、今更新しいカメラに買い替えなんてしたってもっと撮らなくなるだけなんじゃないか。次に壊れたら、次こそは買い換えよう。
そんな気分で。
次壊れたら、また結局もう一度悩みそうだけども。
"物を大切に"とはまた違う気がする(わたしカメ子を大切に扱ってあげたことなんてほぼ無いに等しい)。どちらかというと、"共に"みたいな。

帰ってきたら、無駄に撮ろう。っておもって、1本は本当無駄に撮りきった。
はやく現像したい。